2012/08/20

TED "創造性をはぐくむには"エリザベス・ギルバート

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創造性を個人の特別な才能と考えることで、芸術家の苦悩は生まれる。
人間を世界の中心におくルネサンス以降の考え方は、脆く繊細な人間には重すぎるのではないか?
「創造性は偉大な何かからの借り物である」と考えることができれば、すべてが変わる。

彼女は映画にもなった Eat Pray,Love の著者なので、知っている方も多いかもしれません。



神憑っているという表現を日常的に使う我々にとって、クリエイティビティは「ジーニアス」という遠くから来た精霊によってもたらされる一時的なものという解釈は、そう驚くものではない気がします。(2009年のアメリカでこの話をするのは相当な勇気が必要だったでしょうが)
この話で特に気に入っているのは最後の砂漠の踊り手の話です。
ジーニアスという非科学的なこの話は、人によってはピンとこない空想話に聞こえそうです。しかし最後にこの物語を語る事でそれまでの話に見事にリアリティを添えます。砂漠で踊る踊り子の姿が、まるでその場面に居合わせたかのように浮かぶでしょう。
フラメンコを踊る友人がいて、何度かライブに足を運びまさに神憑った踊りを見たことがあります。ライブを見ながら「オレー!」と声援を送った事がすごく特別な事に思えて、その場面を思い出さずにはいられませんでした。

----- 以下引用 -----
昔、北アフリカの砂漠では― 月夜に 踊りと歌の祭典がありました。明け方まで何時間も 見事なものです。プロの踊り手は― 素晴らしいです。たまに ごくまれに― 踊り手が 一線を越えることがある 何の話かお分かりですよね。そんな場面に出合ったことありません? まるで時が止まり― 踊り手がある境界を抜ける… いつもの踊りと 変わらないはずなのに― すべてが符合し― 突然人間には見えなくなる。内から足元から輝き― 神々しく燃え上がるんです。

当時の人々はそんな時― 何が起きたか察し その名を呼びます。 両手を合わせて 唱え始めます。 “アラー アラー 神よ 神よ” “あれは神だ” と 歴史の本によると― ムーア人は南スペイン侵攻時 その慣習も持ち込みました。 長年かけて発音も変わり― “アラー アラー” から “オレー オレー” へ… 今でも闘牛とフラメンコで耳にします。 スペインでは 演者の驚異的な動きに― “アラー オレー” “すごい! ブラボー!” 神を垣間見るんです。 素晴らしい。まさにこれです。

ただし厄介なのは 翌朝です。 踊り手が目覚めると― 火曜の朝11時で もう神はいません 膝の悪い老いた人間が一人… 恐らく あの高みに再び上ることも― 回転しても 神の名を呼ぶ人もない… 残りの人生は? つらいことです。 最も辛い現実です。 創造的な人生上で… いえ そこまで酷くないかも…もし初めから 非凡な才能が自分に― 備わっていたと 信じなければ… その力が借り物だと 思い― 謎の源から 人生に添えられ― 終えたら 他へ行くものと思えば… そう考えれば 全て変わります。

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