2012/11/28

Life感想戦「"わくわくできる未来"を求めて」未来の教育(2012/11)

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【未来の教育についての話(外伝Part3)】

電子教材の導入と教育の電子化はよく混同されるが、別物。教科書をiPadに!とかいうのは前者で、その前にもっとやる事があるというのは完全に同意。
プリントや連絡網をメールでとか、グループウェアで教師間の情報共有なんて今すぐにでもできそうなのに

情報のシェア、教材のシェアで教師のアイデアの価値が下がる話と、個人指導の可能性の話は別々に語られていた気がするけど、そこはつながる話のような気がしていて、一人が作った優秀な教材を使う事で準備にかかる時間を圧縮して、その分を個別指導に回す方が効果が上がる気がする

もっと言えば授業は全部YouTubeにアップしてあって、宿題として予習してきてもらう。
そして今までの宿題を授業中にやる。
いちいち計算や用語の説明を板書する必要がないから、その時間を個別指導に回せる。

そういう事をやり始めた時に教育の電子化ができていると、生徒が予習の動画をどこまで消化したかが把握できたり、解答にかかる時間が平均より長い生徒を簡単にフォローできたりという、大きなメリットが生まれる。
それに加えて、完璧に理解している子供を先生にした教え合いをする事ができるようになる。
「教える事で理解を深める」という理想的な体験の機会を生徒に提供することができる。
教室内に限る必要はどこにも無いので、学校中、日本中、世界中(言葉が通じれば)で一緒に学ぶことができる。

そういう所に目が行かずに「教育の電子化=無味乾燥な教育」って話になるのは、現在の教育の延長線上で未来を想像してしまうからなのではないかと思う。
(単純な教科書の電子化とか、みんながパソコンに向かって静まり返った教室とか)
まずは黒板と教壇のない未来の教室を想像する所から始めてみたら面白いんじゃないだろうか

ちょっと休憩

こんなにあれこれ言いたくなるのは教育に一言あるからではなくて、未来はすぐそこまできているのにそれを活用する気がない事に苛立つからなんだろう。デジタル=冷たい、アナログ=暖かいとか言ってる人は(以下自粛)



教材のシェアでアイデアの価値が下がるという話も、優秀な先生の定義が間違ってるから出てくるのだと思う。
教育だと何故かややこしくなるので仕事で考えてみる。
働く人には「普通の人」「優秀な人」「本当に優秀な人」の3種類がいる。
外伝3で割り込んで話したように、「優秀な人」は問題を解決する事で自分の価値を高める。(例えば会計処理の電子化など)
「優秀な人」はそこまでで終わるんだけど、「本当に優秀な人」はその成果を周囲の「普通の人」にシェアする。それによって一度自分の価値は下がるんだけどあえてそれをやる。
その後に「新たな問題を解決して、成果をシェアする」というサイクルを何度も繰り返す。
なぜなら組織としての能力を上げる事で、自分にしかできない仕事に打ち込む環境が作れるということを理解しているから。
ずっと新しい問題を解決し続ける事はできないかもしれないけど、真っ当な組織であればその働きを評価する仕組みになっているはず。
少なくとも周りの人からの信頼や尊敬は得られる。

そこには「簡単な事は標準化して誰でもできるように、それができない難題は時間をかけて全力で取り組むべし」という価値観が存在する。
教育においては標準化の考え方がない(あるいは教育では不可能と思っている)から"俺流教材"を独自に開発し、生徒に分かりやすく教えられることが優秀な先生の定義になっているのではないかと思う。

TED サルマン・カーン「ビデオによる教育の再発明」の事例のように、基礎部分を分かりやすく教えることは動画コンテンツに置き換えられ、その後の個別指導で生徒を伸ばす事ができるかどうかが先生の新しい評価基準になるんじゃないかと思う。
デジタルで置き換え可能な事、人間でないとできない事の切り分けが大切。

人とシェアせず属人化して仕事を回らなくしてしまう人は、会社では悪い評価を下される。
「生徒の能力を伸ばす」という大目標を無視して「職が無くなる」と言って変わろうとしない先生は、静かに教育の現場から退出してください。っていう風になるんじゃないかなと思う。いずれは。

こういうことを言うと、必ず「人間味ガー」「暖かさガー」みたいなことを言う人がいるんだけど、エクセルがあるのに手計算にこだわる人を想像してみればいい。どれくらい使えないかよく分かる。
ルールが変われば、当然求められる能力も評価基準も変わるんじゃないだろうか。

まとめ

時間がなくて駆け足になったせいもあると思うけど、「ところで今の良い先生の評価基準ておかしくね?」みたいな所に話がいかなかったのが少し残念。

現在の教育をベースに話をすれば、「先生が不要になる!」という結論になるのは当然。先生たちは技術で置き換え可能な部分で既に手いっぱいなんだから。

真に話すべきだったのは、先生たちが「教科書の内容のインプット」という大仕事から解放された先の、"わくわくする未来の教育"の話しだったんじゃないかな。

(なんて偉そうな事を書きながら、その場で考えをまとめて話せなかったのは完全に力量不足なので、リアルタイムでガンガン議論を展開させていくLifeクルーマジすげーと思ったのでした。ビデオによる教育の話はさめなかったし。)

参考資料など

外伝3未来の教育の話で紹介した教材を共有・販売できるアメリカのサービスはこちら。
Teachers Pay Teachers

日本でも同様のサービスが準備されているようです。
SENSEI NOTE

【参考となるTED Talk】
サルマン・カーン「ビデオによる教育の再発明」

スガタ・ミトラ : 自己学習にまつわる新しい試み

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